501の事
昨日で営業運用を終えた髙﨑ELDL。
なかでもEF65501との出会いは はるか昔、東京駅13番線でした。
国鉄時代。ブルトレブーム真っ盛りの夏休み。都区内フリー切符であちこち回ったあとの締めは東海道を下るブルトレでした。1977年7月31日。東京発16:30さくら、16:45はやぶさ、17:00みずほ と15分間隔で下る第一陣を新橋や田町で見物。田町では京浜東北線南行きと並走してきたり東海道上りに被られたり難儀な場所でした。その後は東京駅へ。初代OM-1にASA200のネオパンSSSをASA1600にセットしホームをウロウロ。上野方に引き上げられていた18:00発「富士」が入線。この頃東京機関区ブルトレ牽引機の台車検査が下関区に移管されていて検査中の予備機として501~504号機は下関区に転属していました。当時は機関車運用など知るよしも無くこの日たまたま出会ったのが501との初見でした。
仕事絡みで群馬に定住する事になって他の趣味に現を抜かして幾年月。カメラがフィルムからデジタルとなった事も有って再び線路端に出掛けるようになった2006年3月8日。C58363の水上試運転を上り渋川で撮ろうと夕方お出かけ。荷扱いがあった渋川はSLの直前に上る貨物があり501に遭遇。髙﨑運転所に転属していてJR貨物に貸し出しされていたもの。
ヘッドマークも無く貨物牽引で余生を過ごしているような501でした。
JR貨物への貸し出しが終わり客車牽引を目にすることが多くなりヘッドマークを付けて12系を牽く姿はかつてのブルトレを思わせるものでした。
2012年9月19日↑ 10月31日↓ 両毛線
SL遠征のお供や入出場でもよく見かけた501。
盛岡C58復活で試運転のため髙﨑に連れてきたのも501。
自然豊かな風景よりも架線柱や信号や標識など都会的なゴチャゴチャした光景も似合う。
▲2024年3月23日 新前橋
1965年生まれのEF65501。お疲れさまでした。
▲2024年9月22日 信越線上り
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